水は不思議な化合物

食品技術士リレーシリーズ 食品化学新聞2019年9月5日掲載

平井輝生 技術士(農業/生物工学)平井技術士事務所

 我々の生活圏で最も豊富に存在する物質は空気(大気)と水である。空気は陸棲の生物にとって不可欠な気体であるが、水は地球上の全ての生物にとって欠くことのできない重要な存在である。

 生物が他の物と違う所は、周囲の環境からエネルギーを取り出し、それを使って環境の変化に対応し、成長し、活動し、自己複製を行って種の保存を計ることである。これらの活動を行うには水が必要である。我々が生きておれるのもミクロの目で見れば、生体内で順序良く化学反応が行われているからであり、その反応は水を介して行われている。我々の身体は成人で約60%が水であるという。体の中に大量の水を蓄えているのは、生化学反応を円滑に進めるのに必要だからあろう。

 水は我々の日常生活で最も関係の深い物質である。その第一は食品であり、飲料水、氷、酒類、ジュース類、鍋料理などの食品だけでなく、調理に際しての食材や食器の洗浄や衣服の洗濯なども水が使われる。さらに我々の栄養源となる動植物の育成にも水は不可欠である。入浴は古代から人類の生活様式の一つであり、河川は物資輸送の主要な手段として文明を支えてきた。近代はダムを使った水力発電によって、生活に必要な大きなエネルギーを獲得しており、さらに水上競技、スキー、スケートなどスポーツにも利用されている。

 水は水素原子2個と酸素原子1個が結合した無味無臭無色透明の単純な化合物であるが、その物理化学的性状は他にあまり例のない変り者だという。その一つは分子構造で、3個の原子は直線的に繋がっているのではなく、中心のOの所で「へ」の字に折れ曲がっている。水分子の構造は正四面体(正三角錐)の中央に酸素があり、三角錐の二つの頂点に水素が配位している。そのため三角錐の残る二つの頂点に親水性の分子団が来ると酸素と弱い力で結合しては水と混ざり合う。水が色々な物を溶かすのはこのためで、洗浄や洗濯に利用できるのもこの性質を利用しているのである。また、水分子の二つの頂点に異なる化合物が配位すれば、分子同士が接触するので化学反応が起きる。水が化学反応の媒体として利用されるのはこの性質を利用しているのである。生物界でも植物種子を乾燥状態に置けば変化しないが、水を注ぐと発芽するのも生化学反応が開始されるからに他ならない。

 今一つの奇妙な性状は氷が水に浮くことである。氷の分子構造は水素原子が互いに酸素と水素結合して行儀よく並んだ六量体を作って固体になったものであるが、「水に浮く」という事は水より比重が軽いことを意味している。つまり同じ体積の水よりも氷の方が分子の数が少ないことになる。水分子が行儀よくきっちり並んで固まった方が、液状の時より分子間に隙間ができことになる。

こんな化合物は珍しい。しかし、この奇妙な性状のお蔭で、湖面に氷が張っても湖底は四℃程度なので魚は生息できる。湖面の氷に穴を開けてワカサギ釣りを楽しむことができるのも、水のこの性状のお蔭である。もし、氷の方が比重が大きかったら、氷が湖底に沈むことになり、気温が氷点下ならば湖面で次々に氷が造られ、湖全部が凍るので魚は生息できない。海でも同じ現象が起きるから地球に生命は誕生しなかったろうと考えられている。温度の目盛は水の融点(凍結点)と沸点の間を百度と決められており、生活の中で広く使われている。水は沸点以下の温度でも少しずつ気化する。この性質を利用して我々は洗濯物を干して乾かしている。

水の風変わりな物理化学的性状のお蔭で、我々は生存でき、生活をエンジョイできる。自然の摂理と云えばそれまでであるが、幸運だったともいえる。人類は水を最も上手に利用してきた生物である。文明の進歩と共に水の利用は拡大している。これからも新しい利用法が開発されると思われるが、水に感謝して大切に使いたいものである。

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