食品―智慧と技術の結晶

食品化学新聞「食品技術士リレーシリーズ」2020年3月19日掲載

平井輝生  技術士(農業及び生物工学)平井技術士事務所

 人類はさまざまな文化を持っている、食文化もその一つであるが、自然界をよく見るとヒト以外の動物でも生きるための知恵と生活習慣を持っている。昆虫のような小さな動物でも特定の植物のポリネーターとして受粉を助け、エネルギー源となる花の蜜を対価として受け取るシステムを確立している者も居る。植物の方も花粉のようにタンパク質を合成し、その中にゲノムを組み込むには手間もかかり、コストもかかるが花の蜜のような糖類は水と二酸化炭素を原料にした炭酸同化作用で大量に生産することができるので、昆虫が舐めるぐらいのことは全く痛痒を感じない出費である。人間の生活では一円玉一個であれだけの仕事を引き受けてくれる者はない。全く自然界の契約システムの素晴らしさには驚かされる。

 人類が今日のような繁栄を成し遂げることが出来たのも、太古の時代に生き残り、子孫を残すことに努力し、それに成功したからに他ならない。生きるには栄養源の獲得が必要である。人類が農業を営むようになったのは一万年か二万年前であり、ホモサピエンス百万年の歴史から見ればごく最近のことである。農業以前の食料確保は狩猟生活であった、と考えられ毛皮を着て槍を持った我々の祖先がトナカイなどを襲っている絵があるが、実際はこのような光景はごく後世の姿で、初めはゴリラやチンパンジーのように、植物由来の産物を拾い集めて食べていたものと思われる。動物の肉などは小型の肉食獣がたおした草食獣を横取りしていたのではないかと考えられている。

 では、人類はどの点が他の動物より勝っていたのだのであろうか。私は食品を作ったことを挙げたい。自然界にもハキリアリのように植物の葉を切り取って巣に持ち帰り、これでキノコを栽培して、その菌糸を餌にしている動物もいる。いわば農業を営んでいるのだが、人のように栽培技術を学習してキノコを育てるのではなく、その技術がゲノムに組み込まれているのか成虫になるとさっさとその仕事に従事する。人類よりはるかに長い歴史を持つ彼らは、栽培技術を忘れないようにゲノムに書き込んで保存しているのだろうか。

 人類は未だ栽培技術をゲノムに書き込んではいないが、免疫機構などは昆虫やサメなどに比べ遥に進化したシステムを持っているので、生き残るためのゲノムの改造を怠っている訳ではない。ゲノムの改造は容易ではないが、人類は学習と経験の蓄積によって、他の生物種にない高度な技術と知識を記録し、次世代に残す方法を身に付けた。その一つは食品の開発である。これは他の動物種が行っている自然界からの食物の獲得とは次元が異なる高度な技術と知恵の産物である。

 例えば、朝食にトーストしたパンとハムエッグに砂糖入りのミルクコーヒーを食したとすると、このメニューの中に自然界から直接採取したものはなく、全て人が開発した食品である。自然界に自生したコムギを栽培し、六倍体のパンコムギを創製し、その種子を脱穀して粉砕篩別して小麦粉を作り、これに調味料と水を加えてパン酵母を用いて発酵させ焼き上げてパンが出来るまでの工程は膨大で、人はこれを分業で行い、消費者に供給している。その間数千年の歳月をかけて叡智を絞り、技術開発を進めてきたから坐してトーストパンを食べることができるのである。鶏卵も決して天然産の物ではない。セキショクヤケイ(赤色野鶏)から出発して、人工餌料を食べて無精卵を産み続ける今日の採卵鶏が出来るまでにはやはり数千年の歴史があり、産んだ卵は工場で奇麗に洗卵されてパックされ、調理に際して消費者が手を触れるまでは、指一本触れることがない衛生的な状態で供給されている。このようなシステムを考案したのは全て人であり、他の動物には見られない智慧と技術の結晶である。これは人類が誇りにしてよい文化である。人類には様々な文化があり、科学技術が破壊と殺戮に応用されている例もあるが、文化の起りが種の保存と生存を目的としたものであったことを思うとき、人類が食品の開発に注いで来た努力に感謝し、その意図を引き継ぎ、成果物である食品を大切にしたいものである。

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