台湾の食品・農業事情あれこれ!!その2 

 食品化学新聞 食品技術士リレーシリーズ2017年1月8日掲載

 鈴木修武 技術士(農業部門)鈴木修武技術士事務所 

 台湾を訪問していながら日本の農業・食糧を考えていた。生家は甥が後継者になったが食べていけない。周りの耕作放棄地に障害される。例えば、茶畑から生茶葉を刈り取るときに、周辺の竹藪から落ちた葉の取り除き作業で半日が潰れる。長野の農協退職後の友達はリンゴ園を友人数人で管理しているが、まともなリンゴができず、さらに70歳以上では体力的に無理。産地でも贈答用リンゴが不足しており、プロ農家の技術の凄さがわかる。日本、特に地方の農業・食品産業のヒントを調査した。

台湾・美濃の有機農業・食品工場と観光産業

 美濃は台湾南部で北回帰線の南に位置し、高鐵(日本の新幹線)新左管よりバスで1時間である。民宿に到着すると奥さんが世界地図を出し、サインを求められた。日本人は5人目で宿泊客はほとんど欧州か東南アジアからである。世界から有機農業と夏に飛んでくるウスキシロチョウ(黄蝶翆谷)や客家屋敷・料理を求めて訪問する。チョウは日本の統治時代の1935年に森林試験場が作られ、270種類の南方産樹木を集めた森に飛んで来る。また、近くに11月から3月まで紫斑蝶(ルリマダラ)で有名な茂林紫蝶幽谷がありここも訪れたが、世界から観光客が訪れるメキシコと共にチョウの2大越冬地である。 

 町は静かな田舎町で民宿の近くに大きな湖があり宿の主人の案内で朝の散歩をした。少し深い栽培池にアサザによく似た花を咲かせる野蓮があり、葉の下の茎を食べるとシヤキシャキしていた。野蓮はカット野菜のように煮たり、炒めたりして食べる。近くに家内工場の処理場があり見た。バナナの畑や美濃・橙蜜香茄(オレンジ風味ミニトマト)は甘くなく味も濃くなく水分補給には良かった。このトマトは、両側からトンネルにしてネットと金属柵で広い面積で栽培されていた。品種不明な野菜に野鳥被害対策に網を調整していた。有機栽培は小さなカブ状の白玉ラトラ(大根)も大きな面積で栽培されていた。大根や高菜などの小さな加工場があり、塩味、醤油や味噌など色々な瓶詰があった。きのこの瓶詰もあり一帖くらいの机で売っていた。小さな商店街に有機と健康食品を売る店があり、欧米人と地元客が居た。夕刻、町を散策していると日本人とわかると話しかけて、案内されて古城跡を訪ねた。横に祭壇があり老人達が夕方に三々五々集まって日本語・中国語で話しかけてくる。台湾国内はどこも同じで、この雰囲気が好きで何回も訪問している。地図と日本語で小1時間探した客家料理店で豚肉、野菜炒め、落花生の豆腐、高菜の煮つけなど6品の一人前を注文し、美味しく食べたが一人前でも夫婦二人には多く困った。日本の地方の都市や農村の観光として見習うべきところも多いではなかろうか。

森林試験場看板

美濃のトマト畑

台湾製糖の元工場・博物館・糖廠の調査

 砂糖の思い出は幼少の頃、飴のような黒砂糖を食べた。密かに食べたが、指の跡から母親に知られてしまった。村には初めての東大農学部出身の人がおり台湾製糖にいたらしく、分けてもらったらしい。戦後台湾から引き揚げた日本の有名な食品企業は砂糖を作り、さらに砂糖から副生された廃糖蜜でアミノ酸・抗生物質などを製造したと大学で学んだ記憶がある。日本の食品の基幹産業の原点と考えている。会社から農林省糖類研究室に研修に行った。砂糖とはちみつの分析をしていたので興味があり、この博物館の訪問は長年の夢であった。戦後輸出の花形だった台湾の砂糖工業は1970年代1000万トンのサトウキビが栽培され(収量10%約100万トン砂糖)が生産された。その後、2014年にはキビ50万トン、15年に40万トン、最近では約8万トンと非公式情報であるが工業的な生産(H26・日本サトウキビ116万トン)が終わったと噂を聞いた。台湾産業の工業化や観光化、産業の中国への移転と急速な変化である。日経によれば一昨年日本の酵素メーカーが利用価値のないサトウキビ残渣を効率的にエタノールにする酵素技術が開発され古くて新しい食品産業である。

台湾製糖の元工場・博物館

工場が昔のままで博物館に

教科書にも載った八田興一氏の鳥山頭ダムと灌漑事業とは

 台湾で最も有名な日本人は八田氏である。台南より鉄道で4駅、バスもあるがタクシーで行った。ダムの概要はセミ・ハイドロリックフィル工法で当時、最新技術で東洋一であった。水の無い嘉儀平野に奄美島より面積が大きな穀倉地帯ができた。八田氏は大学卒業後多く技術者がいる日本では土木技術者にならなかった。新天地開拓で力を試したかったようだ。皆様どのように思われますか。

台湾で有名な八田興一氏の銅像

台南の花園夜市

食品化学新聞より許可を得て掲載しております