酵母と酵素とバイオテクノロジー

食品化学新聞 2015年7月2日掲載

白兼孝雄 技術士(生物工学部門) 白兼技術士事務所

 昔話になるが20年前に、ある知人から「酵母と酵素は何が違うの」と聞かれたことがあった。「酵母は、ビールや日本酒などのアルコール発酵に使用する微生物である」「酵素は、生体内でつくられる、分解や合成などの化学反応を触媒するタンパク質である」と答えたように記憶している。
 21世紀はバイオの時代といわれている。食品業界で多用されている酵母と酵素の発見の経緯を振り返りながら、現代のバイオテクノロジーを考えてみたい。

①酵母の発見
 1677年に、オランダの商人・生物学者レーウェンフックは、歴史上はじめて顕微鏡を使って卵形の微生物を観察した。これが酵母であろうとされている。
 1837年になって、ドイツの生物学者シュワンらは、芽を出して殖える卵型の微生物が、ブドウのしぼり汁中の糖を分解してアルコールと二酸化炭素を生成することから、アルコール発酵は糖菌(酵母)が原因であることを発見した。
 1860年には、フランスの生化学者・細菌学者パスツールが、アルコール発酵は酵母の生命活動に基づくものであることを発表した。

②酵素の発見
 1700年代後半、鳥の胃液により肉が溶化されることは既に報告されていた。
 1833年に、フランスの生化学者ペイアンとペルソーは、麦芽中からデンプンを分解する成分を発見し、ジアスターゼと命名した。酵素が物質として初めて抽出された。
 1836年には、前出のシュワンが、ブタ胃粘膜の抽出液から酸性下に肉を消化する成分を見出し、ペプシンと命名した。
 当時、アルコール発酵について、前出のパスツールらの生物説(酵母の生命活動)によるものか、もしくはドイツの化学者リービッヒらの触媒説(タンパク質の触媒作用)によるものか、両者の論争が長らく繰り広げられていた。
 1897年に、ドイツの化学者・発酵学者ブフナーが、これらの論争に決着をつけた。ブフナーは、酵母の細胞を摩砕し、細胞がなくても発酵現象(二酸化炭素の発生)が起こることを発見した。酵母が生産した何らかのタンパク質が発酵を起こすと考え、チマーゼと命名した。近代酵素科学の幕開けとなった。
パスツールとリービッヒの論争は、両者の没後にケリがついたが、両者の主張は半分ずつ正しかった。すなわち、アルコール発酵とは生きた酵母に含まれる酵素によって触媒される現象である。

③酵素の本体
 1878年に、ドイツの生理学者キューネは、酵素を「酵母の中にあるもの」の意味からenzymeと命名した。
 1898年には、フランスの生物学者・化学者デュクローが、酵素にaseという接尾語を付けることを提唱した。
 1926年に、アメリカの化学者サムナーは、ナタ豆からウレアーゼを結晶化し、酵素の本体がタンパク質であることを証明した。
 そして1955年に、イギリスの生化学者サンガーは、インスリンの一次構造の決定に初めて成功し、タンパク質がアミノ酸の連結したものであることを確定した。

④バイオテクノロジーの進展
 1894年に、化学者・実業家の高峰譲吉は、消化酵素剤「タカジアスターゼ」を発明し、世界で初めて胃腸薬として発売した。高峰譲吉は「近代バイオテクノロジーの父」といわれている。
 タカジアスターゼ発売から百二十有余年経った現在、酵母と酵素は、食品工業、醸造工業、化学工業、製薬工業、日用品・医療分野などで広範囲にわたって利用されている。
 酵母は、アルコール発酵に用いられる以外に、酵母エキスとして調味料や微生物の培地などに用いられる。また遺伝子組換え技術により、酵母は有用タンパク質の生産宿主として活用されている。
一方、酵素の用途別では、食品用酵素の市場が一番大きい。酵素の種類別では、洗剤用や食品用として汎用されているプロテアーゼの市場が最も大きい。アミラーゼ、リパーゼ、セルラーゼも産業用酵素として重要視され、近年ではフィターゼも飼料用として大きな市場を形成している。

 酵素を用いた最近の話題として、食品の加工や品質改良、機能性素材の開発、化成品の合成、バイオマスの活用、分析試薬への応用など枚挙にいとまがない。
 今後も,バイオテクノロジー分野で、我が国における新規技術と新規酵素の開発とが相俟って,酵母や酵素の用途が多方面に拡がることを切望する。

食品化学新聞より許可を得て掲載しております