酵素科学の来歴

食品化学新聞 2016年11月24日掲載

白兼孝雄 技術士(生物工学部門) 白兼技術士事務所

 生物学の歴史は、古代ギリシャや古代ローマの時代に創出された博物学(動物学、植物学など)から始まったといえるであろう。中世ヨーロッパ暗黒時代を経て、14世紀に興隆したルネサンスにより生物学を研究する新たな気運が生まれた。
 現代生物学は、16世紀の人体の解剖学や生理学、そして生物についての化学(生化学)から始まり、17世紀には顕微鏡観察により動植物の微細構造を発見できるようになった。
 古代ギリシャから続く生命観の論争の中で、酵素科学は19世紀から20世紀前半に、微生物学、ビタミン学、タンパク質科学および核酸科学の発展とあいまって確立されてきた。

① 生命観の論争
 自然発生説(生物が無生物から発生するという説)、および生気論(生命現象には独特の原理・活力があるとする説)と機械論(あらゆる現象を機械の運動になぞらえようとする説)は、生物学における主要な生命観であった。自然は大きく有機界(生命)と無機界(非生命)とに分けられ、その両者の関係をめぐって論争が続いた。
 19世紀まで支持されてきた自然発生説は、パスツールの巧みな実験により否定され(1861年)、生命は生命からのみ生まれるという説が強く認知された。
 一方、アルコール発酵については、発酵生物説(パスツールら)と発酵触媒説(リービッヒら)の論争が繰り広げられていた。ブフナーは、酵母の細胞を摩砕し細胞がなくても発酵現象が起こることを発見し(1897年)、酵母が生産した何らかのタンパク質(チマーゼと命名)が発酵を起こすと考えた。生気論が今までに受けた最も深刻な打撃であった。
 生気論と機械論との対立は、20世紀になっても続いていた。しかし、分子遺伝学の進歩により遺伝子情報が化学的に説明できるようになったことから、機械論者の地位は今までにないほど強くなった。
分子生物学的生命観では、生命とはミクロなタンパク質部品から構成された分子機械である。

② 酵素科学の来歴
(1) 微生物学:顕微鏡観察による微生物の発見(1674年、レーウェンフック)を経て20世紀には、微生物のスクリーニング技術、酵素生産菌の改良、培養技術などの発展があり、現在の産業用酵素の大量生産技術につながった。

(2) ビタミン学:発育に不可欠な副栄養素(ビタミン)の発見(1906年、ホプキンス)と、酵素作用に不可欠な耐熱性低分子物質(補酵素)の発見(1906年、ハーデン)により、多くのビタミンが実は酵素活性の発現に関与している補酵素の成分であることが明らかになった。

(3) タンパク質科学:窒素を含む生体物質がタンパク質と命名(1838年、ムルダー)され、その後タンパク質のアミノ酸配列や三次構造の解析技術が発展した。現在では、酵素タンパク質を改良する技術を用いて様々な機能をもつ酵素が開発されている。

(4) 核酸科学:細胞核のヌクレイン(核酸)の発見(1869年、ミーシャー)から一世紀を経て、遺伝子組換えの基本的技術が完成し、遺伝子工学による酵素の大量生産技術や機能改良技術が急速に進展した。

(5) 酵素科学:麦芽からデンプンを分解する成分(ジアスターゼ)の発見(1833年、ペイアンら)、酵素を「酵母の中にあるもの」の意味からenzymeと命名(1878年、キューネ)、酵素の基質特異性を説明するため「鍵と鍵穴説」の発表(1894年、フィッシャー)、そしてナタ豆からウレアーゼを結晶化し酵素の本体がタンパク質であることが証明(1926年、サムナー)された。
 このようにして、酵素科学と、(1)~(4)の科学領域の知見や技術が融合し、系統的な酵素の生産、分離精製、製品化の技術が生まれ、現在の酵素産業が構築された。

③ 生命の起源と酵素科学
 「無機物から有機物が蓄積され、有機物の反応によって生命が誕生した」とする化学進化説(1922年、オパーリン)が提唱され、ユーリーとミラーは生命の起源に関する実験で、原始地球の環境下に有機物(1953年、アミノ酸;1963年、ATP)が生成されることを示した。クリックは1958年に、生物界のセントラルドグマ(DNA→RNA→タンパク質)を提唱した。
 非酵素的な化学反応から進化して、生物の代謝反応の各段階ではそれぞれ固有の酵素(生体触媒)が関与している。物質代謝を研究することは、裏返して見るならば酵素を研究することでもある。酵素科学は、現代生物学の中心となる科学のひとつであることは論をまたない。
パスツールにより否定された自然発生説の復活があるのであろうか。生命の起源は永遠のテーマである。

食品化学新聞より許可を得て掲載しております