醸造と酵素

食品化学新聞 2018年9月20日掲載

白兼孝雄 技術士(生物工学部門) 白兼技術士事務所

 人類は、狩猟採集から農耕社会へ移行する1万年以上前から、蜂蜜を原料とする蜂蜜酒(ミード)を飲んでいたとされる。蜂蜜酒は、水と蜂蜜を混ぜて放置しておくと自然にアルコールになることから、一般的に最古の発酵飲料とされている。
 ヨーグルトなどの発酵乳の歴史も古く、紀元前6000年頃に遡るといわれる。発酵乳も自然環境の中で偶然に発酵して出来上がったものである。
 紀元前4000~5000年頃の農耕社会では、ブドウ栽培とともにワイン造りが行われ、さらに麦芽のパンを焼いてから水に溶かし壺でアルコール発酵をさせるビール醸造が行われた。平焼き(無発酵)パンから発酵パンの発明は、ビール酵母を利用した偶然の産物とされている。

① 酒類の醸造方法
 世界の酒類は、醸造酒(蜂蜜酒、果実酒、ビール、日本酒、黄酒など)と、蒸留酒(ブランデー、ウイスキー、ウォッカ、焼酎など)に大別される。
 酒類の醸造方法には、デンプン質原料をグルコースに分解する”糖化”と、グルコースを分解してアルコールを生成させる”発酵”の2つの生化学的な工程が必要である。主に3つの醸造形式に分類される。

(1)単発酵:グルコースを多量に含む原料を用いて、糖化を行わず発酵のみを行う発酵形式をいう(例:ワイン醸造)。

(2)単行複発酵:デンプン質原料を用いて初めに糖化を行いグルコースを得て、その後発酵を行わせる発酵形式をいう(例:ビール醸造)。

(3)並行複発酵:デンプン質原料の糖化とアルコール発酵を同時並行的に行わせる発酵形式をいう(例:日本酒醸造)。

② 醸造と酵素
人類は微生物や酵素の実態を知らぬまま、自然環境の中から習得した酒類の醸造を営んできた。
 レーウェンフック(オランダ)が、1674年に歴史上はじめて顕微鏡を使って原生動物、微生物を発見した。1857年には、パスツール(フランス)が、アルコール発酵と乳酸発酵は、それぞれ酵母と乳酸菌の生命活動に基づくものであることを確認した。酢酸発酵などにも、特異的な微生物が必要であることを明らかにした。
 当時、アルコール発酵については、前出のパスツールらの発酵生物説(酵母の生命活動)と、リービッヒら(ドイツ)の発酵触媒説(酵素の触媒作用)の論争が長らく繰り広げられていた。ブフナー(ドイツ)が1897年に、酵母の細胞を摩砕し細胞がなくても発酵現象が起こることを発見した。アルコール発酵とは、生きた酵母に含まれる酵素によって触媒される現象である。

③ 醸造における酵素の役割
 醸造とは微生物の働きによって食品を製造することである。酒類、発酵乳のほかに、味噌、醤油などの製造も醸造である。
 醸造原料にはデンプン質が多く、これらを加水分解する酵素は最も重要である。α-アミラーゼ、β-アミラーゼ、グルコアミラーゼ、枝切り酵素、α-グルコシダーゼにより、デンプンはオリゴ糖、グルコースに分解されて醸造食品が造られる。
 一方、味噌、醤油などは、大豆などのタンパク質原料を利用する醸造食品であるから、タンパク質を加水分解する酵素はきわめて重要である。プロテアーゼ、アミノペプチダーゼ、カルボキシペプチダーゼ、グルタミナーゼにより、タンパク質はペプチド、アミノ酸(グルタミン酸)に分解されて調味料が造られる。

④ 食品用酵素の開発
 醸造に用いる微生物、カビ(アスペルギルス属、リゾプス属)、細菌(バチルス属)、酵母(サッカロミセス属、カンジダ属)を利用して、多種多様な食品用酵素が開発されている。
日本酒の醸造技術を応用するという発想から、消化酵素剤タカヂアスターゼ(高峰譲吉、1894年)が製品化された。
 日本では1940年代以降、微生物由来の食品用酵素、すなわち糖質関連酵素、タンパク質関連酵素のほかに、植物組織崩壊酵素(ペクチナーゼなど)、脂質関連酵素(リパーゼなど)が製造販売されている。
また、酵素を利用した食品加工技術も大いに進展した。酵素糖化水飴の製造に続き、グルコース(1959年)、異性化糖(1965年)の工業的生産が、いずれも世界に先駆けて開始された。

 1970年代~1980年代には、種々の転移酵素を用いる機能性オリゴ糖(シクロデキストリン、フルクトオリゴ糖、ガラクトオリゴ糖など)の製造も順次開始された。その後、デンプンからトレハロースを生産する画期的な技術も開発された(1994年)。
 さらに、酵素法による核酸系うま味調味料(2003年)やジペプチド(2005年)の生産技術も確立された。
 今後も、醸造技術から得られる知見を活用した新規酵素や食品加工技術の開発が望まれる。

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