フードディフェンスと職場環境

食品化学新聞 2018年2月1日号掲載

田村 巧 技術士(生物工学部門・総合技術監理部門)合同酒精㈱酵素医薬品工場

 アクリフーズで2013年に発生した農薬混入事件は、冷凍食品にマラチオンという殺虫剤を故意に混入させた契約社員が、給与処遇に不満を持ったことが原因であった。この事件を契機に、フードセーフティ(食品安全)だけでなく、フードディフェンス(食品防御)という考え方に基づいた管理が重要視されるようになった。

 米国では、生物兵器やテロリズムなどの攻撃への備えを常に考えているためか、日本で農薬混入事故が社会問題化した頃には、すでに食品防御に関する検討が進められていた。特に印象深いのは、2005年にスタンフォード大学のローレンス・W・ウェイン氏らが米国科学アカデミー紀要に発表した、牛乳工場におけるボツリヌス毒素の混入による影響のシミュレーションである。この論文で、集約した牛乳をボトリングする工場の上流工程で、仮にテロリストがボツリヌス毒素を混入させた場合、汚染牛乳によって、数十万人の健康に被害が及ぶと推定された。こうしたシミュレーションによる警鐘も、フードディフェンス推進の一助となっている。

 米国では、このようなフードテロヘの対策をまとめた「農業テロのための捜査ハンドブック」が2008年に公表されている。さらに、2012年には連邦タンパリング防止法(18USC1365)が示され、タンパリング、つまり悪意をもって食品や食品包装に手を加える行為が犯罪であることを明確にしている。一方、日本で、こうした対策が後手に回った理由は、日本人ならではの、お互いを信じる気持ち、つまり「性善説」で人間関係を築いているからである。大震災が起きても盗難、暴動が起きないことを称賛されたこともある、誇るべき国民性が対策を遅らせた。農薬混入事件は、人を信じる雇用関係で維持されていた安全が、簡単に崩壊することを知った事件であった。

 その後、食品工場では「性悪説」に基づく管理にシフトしている。その一つとして、工場内のあらゆる所へのビデオカメラの設置が挙げられる。この監視カメラの設置について、どこの現場でも管理者側は、従業員を守るため、と説明する。しかし、その説明を聞いた従業員は、どのように感じるだろうか。「従業員の潔白を担保するために設置してくれた」と考えるか「疑われている」と感じるか、分かれるところだ。往々にして後者のように疑心暗鬼になるケースが多いのではないかと察する。前者のように、善意的に捉えるためには、日ごろからの良好な信頼関係が欠かせない。

 従業員の働きやすさを第一に考え、革新的な労働環境を従業員との話し合いによって作りあげた食品工場の事例を以下に紹介する。

 エビの加工を手掛ける株式会社パプアニューギニア海産では、現場作業のほとんどを担うパート作業員全員が個人の好きな時間に出社し、好きな時間に退社する「フリースケジュール制」を確立した。子育て世代のママが家庭の都合を第一に考えられるよう取り組んだ仕組みの一つである。しかも、出社時間や休みの事前連絡を禁止することまで徹底した。これにより、離職率が低下し、新人への指導に割く労力を軽減できた。さらに「嫌いな作業はやらなくてよい」というルールも導入した。人の能力は多様で、エビの皮むきが好きな人がいれば、計量が得意な人や出荷配送が向いている人もいる。そこで、作業の好き嫌いに関するアンケートを実施し、その回答をもとに個人の適性を重視して作業の割り振りを行った。これが、作業の効率アップにつながった。一方、このアンケートでは、ほとんどの作業員が排水溝掃除は嫌いと回答したが、嫌われる原因が、しゃがむ体勢が大きな負担になるためであることが、対話によって分かった。そこで、高圧洗浄機を導入するなどの改善を実施した。こうした、人に優しい働き方を、慣例に惑わされずに実践した事例は、書籍「生きる職場―小さなエビエ場の人を縛らない働き方」(武藤北斗著/イースト・プレス)に詳しく紹介されている(写真1)。

写真1 生きる職場
(武藤北斗著/イーストプレス)

 この食品加工工場のルールの数々は、他社でもすぐに取り組める内容ではないかもしれない。ただし、固定概念を払拭し、働き方の改善を、職員との対話をベースに考える姿勢は大いに参考になる。

 松下電器産業4代目社長である谷井昭雄氏は、創業者松下幸之助氏から「今はどこの会社や工場でもよい商品をつくろうとして、品質管理を一生懸命に勉強している。でも、それよりももっと大事なのは、人質(じんしつ)管理やで」と諭された(「PHPビジネスレビュー松下幸之助塾」2014年11・12月号PHP研究所)。いま、食品工場においても肝に銘ずるべき言葉である。

食品化学新聞より許可を得て掲載しております