魚のタンパク質

食品化学新聞2019年1月31日掲載

平井輝生 技術士(農業及び生物工学)平井技術士事務所)

 日本人は米と魚と野菜を食べて育った。日本列島は気候温暖な地域に位置するが、山が多く平野が少ない。四面海に囲まれているので、水産資源には恵まれている。日本列島は人類発祥の地ではないので、ここに人が住むようになったのは大陸や南方の島から人が渡来してからあり、人類の歴史からみると比較的新しい。到着したのは当然海岸地帯である、したがって日本人は最初から魚介類のような水産資源を主要な食料にしたに違いない。

 日本人の食生活は明治以後西欧化が進んではいるが、昭和の時代でも米と魚介類と野菜が主体であった。幼児期からこのような食材を日常的に食べているので、魚を食べることに何の疑問も感じない。「鮮度の良い魚が食べたい」という欲望はあるが、「鮮度って何だろう?」と考える人は少ない。「鮮度って、つまり釣ってからあまり時間が経っていない新しい魚さ。釣り船の上で食べる魚の味は最高さ」という言葉を聞いたことがある。このことは、魚の身、つまり筋肉を構成するタンパク質が、死後変質しやすいことを示している。それに注目し、魚類の筋肉タンパク質の変性について科学的な指標を設けて、鮮度を数値化して評価するような研究が1990年代から始まり、今では鮮度が時間や温度などの環境条件だけでなく、魚種や海水魚と淡水魚によっても異なることが解って来ている。

 魚と我々とではどこが違うか?こんな問題を筆者も中学生の頃、生物の試験で問われたことがある。余りにも違うので、どうまとめて解答しようか迷った。私は何故このような設問をしたのかが解せなかったが、学者先生はこのような課題にも冷静に考え解答する。例えば、水槽の中で泳いでいる魚を見ても「ふむ、成程」と感心している。「何が珍しいのですか?」と聞くと「魚は泳ぐとき、尾部の骨を挟んで左右の筋肉が収縮と弛緩を起こすことによって尾ひれが左右に揺れて体が前進する」成程、我々の歩行とは筋肉の動きが違うが、考えたこともなかった。

 魚類も哺乳動物も筋肉を構成するタンパク質はミオシンであるが、死後の鮮度の劣化は魚類の方が速い。何故だろうか?こんな問題も解明されてきている。生物は生命活動に必要な生体内での化学反応を進めるためのエネルギーとしてアデノシン三リン酸(ATP)を使う。このため動物は食物摂取と呼吸によってATPを体内に蓄積する。死後はこれが酵素によって分解されて、ADP、AMPを経てイノシン酸(IMP)となり、さらにイノシンに変換される。この分解速度が魚肉は獣肉に比べて速いので鮮度が落ちやすいのだそうである。これを利用して魚肉の鮮度を表す指標、K値というのが定められている。これらの研究から魚肉の鮮度維持の技術もいろいろと検討されている。

 獣肉なども死後ある期間経過して物が美味しく感じることがあるが、これはイノシン酸以後の分解速度が、それ以前の分解速度より遅いので、イノシン酸が蓄積されるからである。魚類タンパク質でも鰹節のように水分活性を下げて酵素分解を抑えると、イノシン酸以後の分解が止まりイノシン酸が蓄積する。これが調理に際しての良い出汁となる。

 我々は日常的に見慣れた物、手近にあるものについて疑問を感じないが、西欧の説話で、「ある人がダイヤモンドを捜して旅に出たが、遂に見つからなかった。疲れて帰宅して自宅の庭を掘ったら出てきた」というのがあるそうである。まず身近な物にも目をむけよ、という教訓である。21世紀は宇宙時代と言われるが自然界には身近な所にも、まだ有用な物質や法則が潜んでいる可能性がある。ペニシリンはブドウ球菌を培養しているシャーレに偶然入り込んだ青カビから発見されたものであるが、これは研究者の鋭い観察力が発見につながったもので、シャーレの中味を洗い流していたら見つからなかったであろうといわれる。自然界は観察の鋭い人に有用な物もプレゼントするようでる。魚やアオカビだけではない、日常的に見慣れて当たり前と思っていることの中にも大きな発明や応用に繋がる貴重な法則が潜んでいるに違いない。

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