HACCPは蟹工船の昔から

食品化学新聞 リレーシリーズ No.155 2004年5月6日掲載

西川研次郞 技術士(水産/総合技術監理部門) 西川技術士事務所

カニ工船におけるタラバガニ缶詰の洋上生産は、1920年に富山水産講習所の呉羽丸が船内での缶詰製造に成功したのが始まりである。品質の良さにより大正後期から昭和の初めにかけて急激に拡大したが、太平洋戦争で中断し戦後再開されたものの、外国の200海里経済水域の実施により1973年に50年余の歴史の幕を閉じた。

ここに昭和31年 (1956年) 4月30日の北海道新聞函館版のコピーがある。そこには、日本水産のカニ母船洋光丸が、カムチャッカ半島西岸のカニ漁場に向う途中、知床岬沖合の海上で流氷群に囲まれ舵を折損、自力航行不能におちいったが、巡視船の救助で脱出に成功し僚船に引航されて30日夕刻函館港に引返す予定である旨が書かれている。筆者は新入社員としてこの洋光丸に乗船しており、新入早々海の恐ろしさの洗礼を受けたのであった。

カニ工船で製造されるタラバガニ缶詰の品質の良さは、タラバガニの水揚から缶詰製品になるまでの時間が極めて短く、原料鮮度が抜群に良好なことによる。母船に搭載されている漁艇が早朝に揚網作業にあたり、1時間程度でタラバガニを満載して帰投し母船にカニを渡す。母船では、直ちに脱甲、海水煮熟、海水冷却、截割・身出し、秤量、肉詰、巻締、レトルト殺菌、缶冷却、打検、箱詰めの製造工程を経て製品となる。水揚から製品までの時間は4時間程度であるから、これ以上の好鮮度が保たれた製品はないことになる。

品質の抜群の良さに加えて食品衛生上も安全な製品であった。何故自信をもって安全と言えたのか。それは、呉羽丸による缶詰製造の成功以来培われた技術と経験によって、どの工程をきちんと管理すれば食品衛生上安全な製品ができるかが分かっていたからである。

カニ缶語の製造で食品衛生上大事な工程は、缶の気密性の保持と十分な加熱殺菌である。カニエ船では、巻締については毎日操業前に入念に調整して巻締基準を満たし、その巻締調整記録は保存していたし、1日に2回は切断検査を行うとともに、頻繁に目視検査を行って巻締の正常性を確認していた。加熱殺菌についてはF値を守っていることを記録に残すため、ダイアル式自動記録計を使用し、チャートに時間と温度を記録していた。
当時は勿論HACCPなる言葉はなかったが、今にして思えば当時のこれらの処置は、危害要因分析に基づいて巻締と加熱殺菌の2工程をCCPに決定し、クリティカルリミットを定めて、モニタリングし、記録を取って保管していたのである。即ち、HACCPの原則に適った作業をしていたのである。

HACCPを導入するに当って、HACCPの手法は各製造工程で管理を行うという従来無かったまったくの新手法であり、HACCP以前は、出荷の良否を最終製品の検査によって判定していたとの記述が散見され、今でもそのように書かれている本もある。しかし、これは製造の現場を 知らない人の間違った理解による記述以外の何ものでもないことは、カニ工船において、すでにHACCPと同様の考え方で製造がなされていたことから明らかである。

この他の誤った理解に次のようなものがある。 缶詰のCCPとして欠かすことのできない巻締工程を、連続的モニタリングがなされないからCCPではないという人がいる。モニタリングは決定したCCPについて行うことであるから、モニタリングの頻度がCCPを決める要件になるのはおかしな話で、HACCP がよく分かっていないことの証拠である。巻締の正常性は1日2回の切断検査で十分コントロールができるのである。

また、加熱殺菌冷却後の全製品を打検するから、打検がCCPであるという人もいる。しか し、打検は、軽量、過量、ピンホールなどの異常缶の検出の役目を果たすだけで、巻締不良を見つけることはできないのでCCPにはなり得ない。これも缶詰の製造工程とHACCPをよく知らない人の言である。

このようにHACCP について誤った理解が世の中に氾濫しているのは困ったものである。HACCPの5文字の背後にあるコンセプトを正しく理解すること無く、単に 7原則を表面的に知識として理解したのでは、間違ったHACCPを進めることになってしまう。

HACCPの考え方はカニ工船の昔から実践されていたのである。当時は勿論7原則という形でのきちんとした整理はなされていなかったが、食品製造者は、HACCP に沿った考えで食品を作っていたのである。即ち HACCPは食品製造における昔からの常識なのである。

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