新潟のアルファー粉メーカー 一考

江川技術士事務所

江川和徳

越後平野は米の収穫が盛りである。収穫の景色は心に平穏を与える。今年は葉月みのりという文字通り葉月に収穫できる極早生新品種が登場、美味しいと高評価を得ている。しかし、親のこしいぶきやコシヒカリが登場する時期に生き残っていけるのか?生き残るは、新潟の食品産業の姿と重なる。平成元年に1800社以上を数えた食品企業数が令和元年には687社と千社以上が消え、食品企業の生き残りの難しさが分かる。ところで、アルファー粉(以下α粉)は主に落雁などの打ち菓子類の原料であり、α粉メーカーはこうした和菓子の原料メーカーで、和菓子店が減少する中、如何生き残るか切実である。時代の流れに沿い県内唯一のα粉メーカーまつや株式会社(以下まつや)の足跡を通して生き残りの必要条件を一考する。

1時代の流れとα粉メーカーの決断

時代を昭和は50年代からたどる。初期から中期は本物本格など差別化の時代、新潟からは殺菌餅中心の中、無菌化の餅が上市された。中期の即席化の潮流にはライスヌードルが、60年前後の家事の省力化ニーズの時代には無菌化包装米飯、平成の多様化の時代に微細米粉、病者食等社会ニーズの時代には低たんぱく製品が県内から発進した。しかし平成二桁になるとIT情報産業化時代となり感動や面白さなど具体的に付帯が難しいニーズが台頭、キャラ弁やインスタ栄えなどの自己表現の支援性という文化的ニーズが高まり食品企業での対応は困難な時代を迎えた。さらに加えて食の安全を盾にhaccpの義務化と進み、中小の姿には昭和期のようなニーズ対応への喜びよりも苦汁がにじむ。こうした厳しい環境の中で元気に活躍するまつやというα粉専門メーカーの足跡を追ってみる。まつやは明治40年創業、今年で114年を迎える老舗である。寒梅粉と呼ばれる餅を焼いて粉にしたα粉の専門メーカーである。和菓子が衰退する厳しい状況を打破して行くには転機が必要である。まつやの転機は平成8年、農林水産省およびNGOを通じ飢餓に苦しむアフリカにα粉を援助する仕事が新潟県製粉工業組合に打診され国際支援の栄を時の理事長 斎藤英夫(故人)よりまつやに下され、理事長ともども当時新潟県食品研究所のホットロールで粳の焼き試験を行い蒸米のフレークよりも団子を焼くいわば粳の寒梅粉方式が良いと結論した。団子は餅と違いホットロール上で均一に広がらない問題の解決が必要であった。ロール上で生地の存在する部分としない部分が生じると生地のない部分の温度が上がり金属膨張に差が生じて装置の破損につながる。まつやでは連日、うるち蒸米の調整や伸びの良い搗き条件と生地水分、ホットロールへの投入量など短期間で丹念に確認し期限いっぱいで完成した。まつやの粳α粉はNGOを通じてアフリカに送られアフリカの病院食として使われ品質の高さから大変喜ばれた。これを転機に、まつやは糯から粳への転換を決断した。減少とはいえ和菓子用途のある寒梅粉から、用途のまだない粳α粉の市場開拓がはじまった。

2 粳α粉の展開

粳α粉は餅と違い水への分散性が高い、糯の寒梅粉は砂糖などを配合しないとダマになり甘くなるため菓子用など用途が限定される。また、ホットロールα粉は消化率が高く、焼いているので無菌。この特性を生かしたお粥や離乳食などの分野、糊化添着生の高さを生かした揚げ物用途等の調理分野を開拓した。平成後期になると食に対するニーズの第1が健康となり、呼応するようにまつやは玄米αを開発した。糠層の水分調節特性とαの展着性を生かした熟成用調理粉やコロイド性を生かしたうまみ粉、更に玄米に米ぬかもプラスした健康重視の開業100年の玄米粉などを製品化、生き残りから発展に転じている。まつやの取り組みを通じ、生き残りが難しい時代に道を開くのは転換と決断と一考された。

(食品化学新聞2021. 12.23and30合併号 掲載)